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2014年01月31日

岐阜県東白川村安江家のルーツ

安江氏の系譜は各種ありますが、どれも伊勢の大杉谷から安江左衛門尉平政氏が家臣を伴い嘉永二年(1388年)東白川村に来て定着したことになっています。つまりこの安江政氏(まさうじ)という人物から白川の安江は始まっているのです。

そして安江氏は野原城という小さな城を作り戦国時代に苗木藩の遠山氏と戦ったが、結局負けて農家や一部は庄屋になって江戸時代を迎えたようである。

そして明治時代になって廃藩置県が実施されるときに、苗木藩は弱小藩だった故か極端な神道への傾倒をさせ、寺や仏像などを破壊したという事があったことも分かった。実家を含め、なぜ寺が一つもない村になったのかという歴史も忘れ去っている地元の方がたくさんいました。

そして、その後の調査において地元の古い家で見せいていただいた系図には伊勢の大杉谷以前の系譜が…

まずはその伊勢の大杉谷について書かなくてはならない。

大杉谷は、三重県多気郡大台町で伊勢神宮の禊川と知られた宮川の上流にあった大杉谷村という村であった。しかしその村は宮川ダムの底に沈んでいました。

郷土史によると、その昔、大杉谷には山伏たちが住んでおり、南北朝時代には北畠氏率いる南朝側に加勢していたという事が分かりました。しかし結局1300年代後半に北畠氏の南朝が折れる形で南北和合となり足利幕府の時代となりました。

岐阜の東白川村の複数の家に伝わる家系図に1388年に大杉谷から安江政氏がやってくる前のことが記載されているものがありました。その内容はどれも下記のようにほぼ同じで、私が拝見した系図で最も古いものは約240年前に作成されたものだから、まんざら嘘でもなさそうである。政氏より前にたどってゆくと…
政氏(大杉谷から来た)→政輝→政慶→孝盛(大杉谷に3代住む)→5代略→盛綱(現在の和歌山県十津川村に行く)→安江盛高、この人物に行き着き、あと13代前は桓武天皇!?と書かれている。

桓武天皇はさておき、この安江盛高は加賀の安江郷というところ治めていたらしい。さらに「源平盛衰記」に安江二郎盛高という人物が登場する。それによると、安江盛高は木曽義仲(源ノ義仲)に加勢し今井四郎兼平らと共に源義経(よしつね)と戦うが、近江の粟津原で木曽義仲は討ち死にした、とある。

どうやら安江家の由緒は加賀の安江郷である。金沢市の駅前には「安江町」や「北安江町」という町名があるし、「安江住吉神社」「安江八幡宮」などが残っている。この辺りに安江郷という村があったのだ。

まとめますと、まず1100年代に石川県加賀の安江郷(今の金沢中心部あたり)を治めていた安江盛高は源平合戦で木曽義仲に加勢し滋賀県で敗れ、南の和歌山県十津川村に落延びる。1300年代に南朝北畠氏に加勢し敗れ、岐阜県の東白川村にやってきた。そして戦国時代にまた負けて、ついに農民や一部は庄屋などになった。

なんと負け続けている安江家ではありますが、活躍されている方もいます。庄屋筋で有名な方は名古屋女子大学などを運営されている越原学園の越原家だ。越原家は東白川村の越原地区の庄屋になったのちに姓を安江から越原に改名した安江家の末裔である。

それぞれの時代に、必死に生き正義を貫いてきた先祖を敬い、今の時代を築き上げてゆこうと決意を新たにするこの頃です。

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