2006年11月20日
知覧特攻平和会館
先日、所用で鹿児島に行ってまいりました。
空いた時間で「知覧特攻平和会館」と「西郷隆盛の墓地」へ立ち寄ってきました。
知覧は大東亜戦争最後の年、昭和20年に沖縄への特攻最前線基地となったところです。
平和会館では出撃前に父母や国のことを思い家族などに宛てた手紙などの遺品が展示されています。
手紙を読んでいると、涙があふれてきます。
滞在は1時間の予定でしたが、2時間も過ごしてしまいました。
出撃前の若者たちの写真はとても無邪気な笑顔で、明日には命が無くなるなどとは感じさせません。もちろん怖くて悲しくて仕方がないはずですが、ある種の覚悟ができているようでした。
決して、特攻という戦法は使用されるべきではありませんが、母のため家族のため、その人たちがいる祖国のために自分たちができることとして覚悟を決めたのでしょう。
西郷隆盛は明治維新で重要な役割を果たしたにもかかわらず、最後には私塾の門徒たちに命をくれてやることを覚悟し、国への反逆者として絶命してしまいました。
こうしてみていると、生きることの意味について考えさせられます。ただ好きなことをして命をながらえているだけでは何の意味もないのではないか。
「たましい」以外はあの世へ持って行けないとしたならば、この世でその「たましい」を磨き高めることこそ私たちのすべきことなのでしょう。
そういう意味において、いかに生き、いかに死ぬかということを深く考えさせられました。